魚醤が発達した背景となる風土1

ーモンスーンによる魚の生態変化と漁法ー
 

魚醤の原料となる魚類とモンスーンの関連
 

 

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タイの海辺、魚醤の原料となる魚の漁の様子
 

魚醤は特定の時期に大量に収穫された小魚を一年中利用するため保存目的でつくられると先に述べた。こうした、特定の場所に特定の魚種が一定の時期に集中する魚類の生態の変動はモンスーンとの関連が大きく、特に東南アジアでは顕著である。季節風が陸側から海側へ吹く時期には、風の作用で沿岸近くの浅い部分の底水が海の表面に上昇し湧き出る現象が起こり、その結果海底にいたプランクトンが海表面に出てきて繁殖する。すると、プランクトンの大発生に伴って、それを食べる稚魚などの小魚の群れがやってくる。これを収穫したものが海産魚の魚醤の原料となる。

小エビ塩辛ペーストなどに加工される小エビの場合、漁獲は1年のなかの特定の時期に集中するが、その漁獲期は年によって変動する。海側からと陸側からどちらの風が強いかによる方向に対する沿岸地形の角度によって決まる。
 

淡水魚の場合、雨季と乾季の繰り返しによる季節的な水位の変動が魚の生態に大きな影響を与える。東南アジアの河川には堤防がなく、雨季になると河の水が氾濫して低地に水が流れ込み、水田一面を水が覆う。集落は小高い所にあるが河川から田んぼから水に浸っている状態となる。すると、河川の本流から水田に魚や魚のえさのプランクトンが入ってくる。これらの魚は稲の切り株に卵を産みつけることにより、肉食性の魚から守られて稚魚がかえる。乾季になると水が引くので、水路に網ややなを張ると稚魚が一遍にとれるのである。東南アジア大陸部の各地には、このような水田での魚とりが行われ、その漁獲物が農民の副産物になったり、魚醤の材料に加工される、水田耕作と漁業がセットになった生活の地帯がある。東南アジアで魚醤が起源した場所は、おそらくメコン河流域の、東北タイとラオスあたりではないかと考えられる。その辺りは現在ではラオス系の民族が住んでいるが昔はクメール族の土地であった。また、この地方は内陸の塩が比較的簡単にとれるので、古代のクメール族が東南アジアにおける初めての魚醤をつくったのではないか。現在でもタイ、ラオス国境のメコン河あたりが東南アジアにおける魚醤のセンターで、種類も豊富である。
 

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タイ、チェンマイ郊外で。水田で竹製のすくい網を使用した魚とり

 

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左記の写真と同じすくい網を使用。漁獲物は腰からさげた魚籠にいれる。

 

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ラングーン郊外の農家が魚醤の原料魚をとるのに使用する漁具。これを水田の畦にしかける。


 

東南アジアで魚醤が起源した場所と考えられる
メコン河流域、トンレサップ湖での漁

 
河川と氾濫した平原との間の季節的移動を繰り返す東南アジア大陸部の淡水魚の生態に即した漁業の典型がカンボジアのトンレサップ湖とメコン川流域でみられる。乾季の間はトンレサップ湖に蓄えられた水はトンレサップ川を通じて南シナ海に注ぐが、雨季には、メコン川の水が増量し、“逆流"が起こり、メコン川の水がトンレサップ川の上流方向に流れるようになり、トンレサップ湖に大流れ込む。結果、増水したトンレサップ湖は洪水を引き起こし周辺は水没するとともに、魚が氾濫した場所に進出してくる。逆に、乾季になると湖で産卵、捕食行動をしていた魚は乾季でも充分な水量があるメコン川上流に移動する。こうした魚の移動パターンに合わせてカンボジアの伝統的な淡水魚の漁法がなされている。
 
また、いかだと小舟をつらねたところへ定置網を張る、大がかりな漁具を利用したダイという漁法もトンレサップ湖で行われる。この漁法でプラ・ホックというカンボジアにおける塩辛ならびに塩辛ペーストの原料魚の多くが漁獲される。ダイを行う時期になると、プラ・ホックつくりにやって来た農民がコメを積んで川岸に待っており、漁民との間で小魚を物々交換する。川べりで取れたての小魚に塩を混ぜて自分の農村へ牛車で持ち帰る。村に戻ると、塩をした魚をカメに入れて本格的な塩辛作りを行う。
 
魚醤が発達した背景となる風土1