魚醤が発達した背景となる風土2

ー非牧畜,稲作地帯で発達した魚醤ー
 

図●の黄色い線で囲んだ部分は、乳しぼりをする地域、すなわち乳を利用する地域で、赤い線で囲んだ部分は牧畜地帯の中心地である。インドとミャンマーの国境を境にした西側の世界、および中国側からみると、北は万里の長城が牧畜民と農耕民の境である。北方の牧畜民が中国の農業世界に侵入してくるのを阻止するのが万里の長城の役割であった。

 
牧畜民の地帯では、ただ家畜を飼うだけではなく草食性の動物を飼って乳しぼりをする。牧畜とは乳と肉を食べ、毛皮や動物の毛で衣服をつくるなど家畜の生産物に大幅に依存する生活様式のことをいう。よって、乳しぼりをしないブタやニワトリは牧畜用の家禽とはいえない。また、肉と乳を比べると、毎日得ることができて、チーズやバターなどの加工品をつくれる乳の方が牧畜民にとって大切な食料資源である。いずれの牧畜民もバターをつくって食べているので、バターをよく食べる地域に住む人々は牧畜民といえる。
 
これに対して、魚醤とナレズシが発達した東アジアと東南アジアは非牧畜の世界であり、乳を伝統的に重要な食用資源として使うことがほとんどなかった。また、伝統的に肉食をしなかった日本をのぞくと、東アジア、東南アジアでは、ブタやニワトリなどの食用家畜や家禽、一部では水牛を飼っていたとはいえ、数十頭、数百頭のウシやヒツジの群を一家族で飼う牧畜という生活様式にくらべたら肉を食べられる機会ははるかに少なかった。
 
図●は世界の主食作物と乳利用の分布図である。黒く塗りつぶしたのがコメを主食にする文化の分布である。斜線の部分は根栽文化,これは太平洋の、タロイモやヤムイモなどイモ類を主食としているところである。中国の北部,インドの一部、アフリカのサハラ砂漠の南側は雑穀の文化である。ヨーロッパから西アジアにかけて、また中央アジア、インドを通って、中国北部にいたるところはムギの文化圏である。中国では河北平野に入るが、雑穀と麦作の両方を行っている地域がある。
 
牧畜を行う中心地は北アフリカから中央アジアの乾燥地帯であるが,牧畜という生活様式が取り入れられた場所はヨーロッパやインドを含む。これを線(乳利用となっている部分)で覆うとヨーロッパの北を通り、アフリカでは南アフリカの手前で区切れ、インドからモンゴルに至るのが牧畜圏である。これに対して,東南アジアと中国の南部,朝鮮半島の南側、日本の北海道を除く地帯は伝統的に稲作を行い、牧畜文化がなかった地帯である。この地帯は肉や油脂を食べることは少なく、コメと動物性たんぱく源として魚が重要な地帯であった。
 
栄養価のすぐれた乳や乳製品を欠いた非牧畜の水田稲作地帯の食生活は、主食である米から、エネルギーばかりでなく、たんぱく質も大部分を摂取する食事パターンであった。おかずは魚と野菜であるが、魚はご馳走であって日常的に食べられないので必然的に野菜のおかずが主になる。しかし、甘味をもつイモ類などを除いて、多くの野菜は単独ではおいしさに欠ける。そこで、野菜においしさを付けるために、ただの塩味でないもので、うま味を多く含む醤油や魚醤が使われた。
魚醤が発達した背景となる風土2