日本における麵の歴史

索餅、索麵、そうめん

日本における麵の研究書、歴史書はなんといってもソバに関するものが多い。ソバを麵に加工するようになった時期は、おおよそ15世紀以降のことであるとされる。それ以前には、コムギ粉を原料とする麵がつくられていた。コムギ粉を原料とする日本の麵としては、うどんやそうめんがあげられるが、日本のそうめんのルーツと考えられるのが宋の末期,元の初期に成立した『居家必要事類全集』に登場する「索麵」である。後漢代や唐代には「索餅」とよばれていた「索麵」であるが、「餅」から「麵」への変化は,中国の古代にはコムギ粉でつくった食品はすべて餅とよばれていたのが、後に麵と表記されるようになったためである。後漢代や唐代には「索餅」とよばれ,宋末期から元の初期以降は「索麵」とよばれるようになった食品が、9世紀頃には日本へと伝わり、それが今日のそうめんとなっていると考えられているが、索餅は菓子であったという説など、諸説があり決着はしていない。しかし、石毛直道は、奥村彪生とともに行った索餅再現実験の経験から、索餅は菓子ではなく麵であったと断定していいのではないかとしている。
 

J_00772_re.jpg手延べそうめんつくり見学の写真   J_00773_re.jpg

 

J_02484.jpg   J_02485.jpg三輪素麵   J_00554_re.jpg揖保の糸
J_00538.jpg手延べそうめんつくりの道具   J_00535.jpg揖保の糸の伝統的な手延べそうめんつくり   J_00536.jpg


『延喜式』における索餅
 
927年に完成した『延喜式』は養老律令の施行細則を集大成した法律集である。この中に、天皇と皇后に献上するための索餅をつくるための原料と索餅つくりのための道具についての記録がみられる。道具は,水をいれる容器,机,刀子(ナイフ)、作業時にかぶる頭巾と前だれ,臼や杵,塩水を溶かすときや索餅をゆでるときに使用したであろう土鍋や薪などさまざまなものが記録されている。記録から原料の配分を割りだしてみると、コムギ粉2.5、コメ粉1、塩0.1程度、で索餅は作られていたことがわかる。

これに基づいた再現実験の写真

J_03771_re.jpg円盤状にした練り粉に渦巻き状の切れ目をいれる   J_03774.jpg生地をひっぱりながら細くしていく   J_03780.jpg

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棒にぶらさげて乾燥させる。重力によってだんだんと細くなり,平均3ミリ程度になる
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出来上がり
   
 

ソバとそば切り
 
現在では、作物のソバとそれを麵に加工したものの両方を「そば」という。幕末には、ソバ粉を原料とした麵を「そば」とよぶことが普及していたようだが、正式には「そば切り」といった。江戸時代初期の『料理物語』(1643年刊行)の「蕎麦きり」の記事には、そば切りを「いかき」に盛ってだすと書かれている。そこには,ゆでたそば切りをざるですくい、ぬるい湯で洗ってから再びざるに入れて、熱湯をかけてふたをし、水気をきってあついままざるに盛って食べるのだと記されている。食べ方はといえば,江戸時代にそば切りを売る店では17世紀のおわり頃まで「蒸しそば切り」を提供していた。今でも、盛りそば、ざるそばがセイロの上にのせられているのは、そばを蒸していたころの名残をとどめているからだろう。

17世紀には麵類を売る店は「うどん・そば切り」という看板を掲げており、コムギ粉からつくられるうどんの方が大勢をしめていたが、18世紀になると江戸では逆転してそばが主流となった。もともと、ソバは「ソバくらいしかできない」土地のやせた場所で植えられたり、救荒作物として栽培されたりしたもので、コムギに比べるとはるかに格の低い作物だった。この代用食用の作物からつくったそば切りを、趣味性のたかい料理にまで発展させたのは、江戸という新興都市における外食文化の興隆があったからにほかならない。

そばうち
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