年表

1937年11月30日 0歳 千葉師範に勤務する父の任地の千葉県千葉市にて誕生。代々教育者の家庭であった。

幼稚園児の頃「将来は蕎麦屋の小僧になる」と発言する。

1944年4月 6歳 銚子市興野国民学校に入学。小学校時代は銚子市→柏町→野田市と転校する。
1945年3月 7歳 空襲で実家が消失する。

私は「サツマイモ・ジェネレーション」である。食糧難の時代にはサツマイモばかりを食べた。既に一生分は食べただろう。

1950年4月 12歳 千葉県野田市立第二中学校に入学。

この頃、考古学に興味をもち、千葉県北部の遺跡めぐりをするようになる。

1953年4月 15歳 東京都立上野高校に入学。

考古学と文学にかぶれた少年であった。同時に海外への憧れをつのらせる。

1958年4月 20歳 2年の浪人生活を経て、日本で最初に考古学科が出来た京都大学文学部に入学。学生クラブ探検部に入部する。

伏見区の寺院の屋根裏の下宿を皮切りに結婚までの11年間に16回転居する。
この頃、下宿で金だらいを使い牛乳を沸かし、塩、コショウ、うどん玉を入れて煮たのが最初の料理経験であった。
酒とタバコに深く馴染み、焼酎をよく飲んだので「チュウの石毛」とあだ名された。

1960年6月
 ~11月
22歳 大学2年生、京都大学探検部トンガ王国調査隊に参加。

トンガで考古学的な遺跡を探すうちに現代の貝塚に興味を持ち、民族学(=文化人類学)に関心を寄せる。
トンガ調査の際、料理当番になり料理の面白さに目覚める。

1961年4月 23歳 教養課程で1年留年後、京都大学文学部史学科(考古学専攻)に進学。若手学者の研究会「青年人類学会」の常連になる。
1963年3月 25歳 京都大学文学部史学科卒業。卒業論文は『日本稲作の系譜』。
1963年4月 25歳 京都大学大学院文学研究科(考古学専攻)に進学。

この頃、考古学から民族学に変更すると決意する。
別荘の留守番中に婦人雑誌の料理の手引きを参考に毎回違う料理を3ヶ月作り続け料理の腕をあげる。

1963年8月
 〜1964年4月
25〜26歳 京都大学西イリアン学術探検隊に参加、ニューギニア高地の未探検地域のフィールドワークに従事。その後もジャカルタでインドネシア政府との折衝と資料収集を行う。

ジャカルタで日本の商社マンの家に下宿。メイドさんがつくるナシゴレンで初めてトラシ(小エビの塩辛ペースト)に出会い関心を持つ。

1964年 26歳 「梅棹サロン」のメンバーを中心とする「京都大学人類学研究会(近衛ロンド)」設立の発起人の一人となる。
1965年11月 27歳 京都大学大学院文学研究科修士課程を中退。京都大学人文科学研究所助手に採用され、梅棹忠夫助教授の主宰する社会人類学部門に所属する。
1966年7月
 〜1967年3月
28〜29歳 日本学術振興会アフリカ現地駐在員になる。主としてタンザニア内陸部でフィールドワークを行う。

この頃から研究の資料として写真を撮り始める。

1967年12月
 〜1968年5月

30歳 「京都大学大サハラ学術探検隊」に参加。人文科学研究所の梅棹忠夫助教授、谷泰助手とリビア砂漠のオアシスでフィールドワークを行う。その後、冒険商人のトラックキャラバンに参加、単独でリビア砂漠を縦断、地中海からチャド湖までの旅をする。

この頃、初の著作『食生活を探検する』を執筆する。フィールドワークの記録から、食と住居についての考察を始める。
食物史研究者の篠田統氏の自宅を頻繁に訪れ薫陶を受ける。

1968年10月 30歳 入江卯女(うめ)と結婚。京都市左京区田中西浦町に住む。
1969年8月 31歳 初の著作『食生活を探検する』を文藝春秋より刊行。翌年の第1回大宅壮一ノンフィクション賞の最終候補まで残る。
1970年7月 32歳 『季刊人類学』の初代編集長役を担当する。

この頃、食文化の研究に取り組み始めた私は、学問の正道から逸脱した道楽者と一部から心配される。中尾佐助氏から「君はおもしろいことを始めたな」と励まされ勇気づけられる。

1971年3月・4月 33歳 京都大学人文科学研究所を退職。甲南大学講師(文学部)に就任。
1973年4月 35歳 甲南大学助教授(文学部)に昇進。
1973年11月 35歳 民族学振興会から第7回渋沢賞を受賞。『住居空間の人類学』(鹿島出版会 1971)に対して。

この頃、食文化と物質文化を二本柱に研究を続ける。

1974年3月・4月 36歳 甲南大学文学部助教授を退職。国立民族学博物館助教授に就任。
1974年9月
 ~11月
36歳 東南アジアで国立民族学博物館の展示資料収集に従事。
1975年7月 37歳 大阪府茨木市紫明園に転居。以来引越しはしていない。
1975年10月
 ~12月
37〜38歳 国立民族学博物館タイ・オセアニア展示資料収集に従事。
1976年8月
 ~12月
38〜39歳 国立民族学博物館ハルマヘラ調査隊の隊長として、ハルマヘラ島の現地調査を行う。

この頃、私は食に関する研究について照れがあり「これは私の遊びなんです」と言っていたのだが、篠田統氏が「青木正皃(中国文芸研究の第一人者)は食物に関してよく調べて書いているが、食いもののことは本業ではなく遊びだと称していたのはけしからん」と評したのを聞き、それからは自分の本業だと言うことにした。

1979年5月 41歳 生涯の盟友である小松左京氏とイースター島へテレビの取材旅行。
1980年2月 42歳 味の素㈱の「食の文化シンポジウム」に企画から参画。
81年、82年の同シンポジウムにも参画する。
1980年3月
 ~5月
42歳 東南アジア食文化調査。香港、タイ、マレーシア、シンガポール、インドネシア、フィリピン。監修している『週刊朝日百科 世界の食べもの』の調査のため。
代表的な食文化研究旅行①
1980年8月
 ~9月
42歳 韓国食文化調査。生涯の盟友、韓国の食文化研究者、李盛雨氏と出会う。
代表的な食文化研究旅行②
1980年10月
 ~11月
42歳 中国食文化調査。田中静一、中山時子氏と同伴。
代表的な食文化研究旅行③
1980年11月
 ~12月
42〜43歳 ロスアンジェルスの日本料理店の調査。小山修三・国立民族学博物館助教授、山口昌伴・GK研究所研究員、栄久庵祥二・GK研究所長が同行。なぜアメリカ人が日本食を食べ始めたのかを中心に調査。トヨタ財団の研究助成による。
代表的な食文化研究旅行④

1980年4月
 〜1985年3月

42〜47歳 国立民族学博物館共同研究「東アジアの食事文化の比較研究」を行う。
1981年9月
 ~10月
43歳 英国、欧州各国へ。第1回オックスフォード大学「食物と料理国際シンポジウム」参加と国際交流基金主催の日本の食文化講演。
1982年6月
 ~7月
44歳 中国食文化取材調査。雑誌『太陽』の連載企画「ハオチー! 鉄の胃袋中国漫遊」の取材。
代表的な食文化研究旅行⑤
1982年7月 44歳 味の素㈱主催「食の文化フォーラム」が開催される。学際的な研究集会であり、今日まで継続している。第1年度のテーマは「食のターミノロジー」。私は第16年度まで企画・総括を担当した。
1982年10月
 ~12月
44〜45歳 東南アジア魚醬調査。ケネス・ラドル国立民族学博物館助教授とタイ、ミャンマー、マレーシア、フィリピンで魚醬とナレズシ調査。
代表的な食文化研究旅行⑥
1983年3月 45歳 中国食文化取材旅行。雑誌『太陽』の連載企画、「ハオチー! 鉄の胃袋中国漫遊」の取材。
代表的な食文化研究旅行⑦
1983年8月 45歳 中国魚醬調査。ケネス・ラドル氏と、掖県の蝦醬(小エビ塩辛ペースト)工場調査を中心に中国各地で魚醬とナレズシ調査。
代表的な食文化研究旅行⑧
1983年11月 45歳 韓国魚醬調査。ケネス・ラドル氏と韓国の魚醬とナレズシ調査。
代表的な食文化研究旅行⑨
1983年12月 46歳 日本生活学会研究奨励賞を受賞。「ロスアンジェルスにおける日本料理店の研究」に対して。小山修三、山口昌伴、栄久庵祥二氏とともに。

1983年4月
 〜1991年3月

45〜53歳 国立民族学博物館共同研究「現代日本における家庭と食卓―銘々膳からチャブ台へ」を行う。
1984年1月
 ~2月
46歳 東南アジア魚醬調査。ケネス・ラドル氏とベトナムではニョク・マム(魚醬油)、カンボジアではタク・トレイ(魚醬油)の工場、市場、食堂などを取材した。
代表的な食文化研究旅行⑩
1984年11月
 ~1985年1月
46〜47歳  東南アジア魚醬調査。ケネス・ラドル氏とタイ、マレーシア、バングラデシュ、インドの魚醬とナレズシ調査。
代表的な食文化研究旅行⑪
1985年7月
 ~8月
47歳 東南アジア魚醬調査。ケネス・ラドル氏とインドネシアのトラシ(小エビ塩辛ペースト)を中心に調査。
代表的な食文化研究旅行⑫
1986年7月 48歳 国立民族学博物館教授に昇進。
1986年11月 48歳 東京農業大学から「魚介類の発酵製品に関する研究」で農学博士号を授与される。
1987年8月
 ~9月
49歳 コーカサスの食文化調査旅行。ロシア、アルメニア、グルジア、アゼルバイジャン。
代表的な食文化研究旅行⑬

1987年

49歳 日清食品本社ビル内の図書館「FOODEUM」に展示する「麵の系譜図」を作成するため「麵の系譜研究会」が結成されメンバーとなる。

以降、麵食文化について本格的な研究を開始する。

1988年11月 50歳 中国食文化取材旅行。全日空の広報誌『ていくおふ』に連載した「対談・食べ物風土記」の取材。
代表的な食文化研究旅行⑭
1989年7月
 〜8月
51歳 韓国麵類調査。日清食品の広報誌『FOODEUM』に連載した「麵談」のための取材。
代表的な食文化研究旅行⑮
1990年4月
 〜5月
52歳 中央アジア麵類調査。ウズベキスタン、タジキスタン、キルギス、ロシア。創価大学教授・加藤九祚氏らと。
代表的な食文化研究旅行⑯
1990年8月
 〜9月
52歳 チベット文化圏と東南アジアの麵麺類調査。インド、ブータン、タイ、マレーシア。国立民族学博物館助教授・栗田靖之氏らと。
代表的な食文化研究旅行⑰
1990年12月 53歳 イタリア麵類調査。国立民族学博物館助教授・野村雅一氏らと。
代表的な食文化研究旅行⑱
1992年10月 54歳 韓国ソウルへ。元漢陽大学教授・李盛雨氏の追悼集会で記念講演。
1992年4月
 〜1995年5月
54〜57歳 国立民族学博物館共同研究「酒と飲酒の文化」を行う。
1996年7月
 〜8月
58歳 モンゴル乳製品調査。カルピス社創業80周年記念事業でモンゴル国と中国の内蒙古自治区における乳製品の現地調査を行う。
代表的な食文化研究旅行⑲
1996年12月
 〜1997年1月
59歳 国立民族学博物館教授・吉田集而氏、同館助教授・吉本忍氏とインド・ナガランドの共同調査。
1997年4月 59歳 国立民族学博物館館長に任命される。
1998年6月 60歳 『講座 食の文化』全7巻の監修を行う。(財)味の素食の文化センター発行。1998年10月刊行開始、99年12月完結。
1998年11月 60歳 韓国慶州市名誉市民に任命される。北京大学日本研究中心顧問に任命される。
1999年10月 61歳 日本生活学会から第25回今和次郎賞を受賞。『講座 食の文化』監修の功績に対して。
1999年11月 61歳 大阪市民表彰。
2003年2月 65歳 大阪文化賞を受賞。
2003年3月 65歳 国立民族学博物館館長を退官。
2003年4月 65歳 国立民族学博物館名誉教授となり、大阪府茨木市西駅前町に石毛研究室を開設。
2003年9月 65歳 福井県小浜市に日本初の公立の食文化博物館「御食国(みけつくに)若狭おばま食文化館」開館。設立の企画に携わり、名誉館長となる。
2004年12月 67歳 中国・広州、北京、蘭州、太原へ。食の博覧会・アジア麵街道の取材。NHKのテレビロケ。
代表的な食文化研究旅行⑳
2005年9月 67歳 監修した『世界の食文化』シリーズ刊行開始。農山漁村文化協会発行。
2007年3月 69歳 米国ニューヨークの日本料理店の調査。林原美術館館長・熊倉功夫氏、瓢亭主人・高橋英一氏と。
2007年7月 69歳 大同生命地域研究賞を受賞。「多年に亘る世界諸地域の食文化研究における業績」に対して。
2007年11月 69歳 タイ・バンコクへ。(財)味の素食の文化センター主催のシンポジウム「米と魚」にて基調講演「魚の発酵食品と水田稲作」を行う。
2011年12月 74歳 『石毛直道自選著作集』全12巻の刊行開始。ドメス出版発行。2013年3月、全巻完結。
2012年9月〜
2013年3月
74〜75歳 (財)味の素食の文化センターによる企画展示「石毛直道 食文化を探検する」が開催される。
2014年5月 76歳 第24回南方熊楠賞受賞